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「これ…」
その先が出てこない。
遠い向こうの山の隙間から、太陽が微かに顔を覗かせている。その光は未だまだらな雲をまるで切り裂くが如く走り、それ自体を淡く鋭く照らしていた。それとは別に垣間見える青色。
知らず、身体が打ち震える。いつか見た、あの空の写真と、同じくらいの衝撃。―――否、その時よりも、感動が勝る。
ああ、これが空か。
これも、空か。
「どうして」
それに続く疑問が、うまくまとまらない。冬夜の顔が見たい。けれど、それは叶わない。あたしは、この空から目を離せない。
リュックには、習慣として持ち歩いているカメラがある。手のみでそれを探(さぐ)り当てると、構えた。シャッター越しに映る空を目に焼き付けて、シャッターを切る。何度も、何度も、何度も。
一瞬一瞬が、違って見える。実際違うのだろう。あたしは日が半分ほど顔を出したところで、ようやくカメラから意識を離した。
はっ、と息を吐く。そこでようやく、自分の呼吸がいやに浅かったことを自覚した。深呼吸。それでも空から目が外せないのは、何故か。
「どうして、冬夜は」
再び置いた問い掛けに、冬夜が隣で、フッと笑った。
「利央なら絶対、撮るだろうなと思ったから」
その割に、声はどこまでも真摯なものだった。朝日はまだ上がっている途中だったが、今度こそ、あたしは空から冬夜に視線を移した。
いつから見ていたのだろう。
彼と目が合う。いつもと同じ無表情。けれどその空色の瞳の奥に、優しい光を見つけ、あたしの心はドクンと大きく高鳴った。
「見せたかったんだ、俺の宝物」
「…宝物?」
そう、と冬夜は頷いた。
「小さい頃に、親に反発して家を飛び出した。すぐにじゃなくて、その日の深夜ってところが、俺らしいといえばらしいんだけどな。行く当てもなくて、人がいるところはなんとなく怖くて、森に入った」
今思えば、そんな時間帯に森に入ることの方がよっぽどか危ないって感じだけど、と小声で付け足す。
しかしその行動によって、彼は見つけたのだ。この美しさを。
幼いながらに、それは大きな感動をもたらしたらしい。一瞬広がる空。次の瞬間には、雨が降っていたそうだ。それすらも綺麗に映ったのだと言う。
「だけど見たのはそれっきりだったな。その次の日から、心配した親から監視が始まったから。正直なところ、ここに戻ってきて、利央に会うまでは忘れてた」
一度思い出したら、まるで絡まっていた糸が解けるように、その情景も、感動も、全てが甦った。道順だけは朧げにしか思い出せなくて、一度確認しに来たらしいけど。それもあたしに見せるためだと言外に伝えられ、多少ばかり照れ臭くなる。
「利央」
ん、と聞こえるか聞こえないかぐらいの返事をする。利央、ともう一度呼び掛け。なに、と今度は聞こえるくらいの声で返した。
「―――夢は叶ったか?」
少し間を置いてから、冬夜は確りとした口調で、あたしに言葉を投げかけた。
夢。
何度となく口にした、夢。
心の片隅で、あくまでこれは夢として終わるのだと思っていたもの。
あたしは空を見た。青い空だ。青い空が広がっている。あたしの目の前に。
「叶ったよ」
叶えてもらったよ、今ここで。
その想いは、きっと口に出さなくたって通じてる。
「ありがと」
今度は、何が、と訊き返されることはなかった。
その代わりのように、ぽつ、と音が鳴る。
「………あ」
ぽかんと開けた口に、また一粒。
こんなことってあるだろうか。まるで奇跡だ。このタイミングで、雨が降るなんて。
おそらくそれは偶然。いや、おそらくでもなんでもなくて、確実に、そう。だって、そんなのを操作できるような能力なんて、持っているはずがない。
だけど今は、今だけは、あたしたちがこの雨を降らしたのだと思いたくなった。そんな奇跡を起こしたのだと。
パサリ、と頭に軽いものが当たる。どうやら冬夜があたしに合羽を被せてくれたようだ。自分もそこに入っている。二人が入っても大丈夫なくらいの大きさだ。あたしも出そうと思いリュックに手を掛けたが、―――やめた。
今はこれでいい。冬夜との身長の差の関係――彼がしゃがんでくれているおかげで、まだなんとか縮まっているが――で、雨が降りこんでくるが、これくらいは許容範囲内だろう。
そこまで強くない雨足は、いつもなら傘で済ませる程度のものだが、たしかにここで傘はきつい。どっちも持ってこいとは、そういう意味だったのか、と今更ながら納得する。
青い空から、雨粒が降ってくる。
「天気雨だな」
「天気雨?」
なるほど、そういう言い方をするのか。
「狐の嫁入りとも呼ばれる」
「ふうん…」
じゃあ、水の都に雨が降らなくなったのも、狐に化かされたためだろうか、などと考える。
それきり黙って空と雨を無心に眺めた。青色がやがて塗りつぶされて、いつもの灰色になった頃、ようやく冬夜が口を開いた。
「帰ろう」
それに、こくりと頷くことで答える。リュックから合羽を取り出す。帽子まで被ったのを確認した冬夜が、あたしの上にも被せていたソレを身にまとった。
―――夢は叶った。
ならば、これからはそこからまた新たな夢に向かって、踏み出そう。
雨が降って地が緩んでいるからと、冬夜が手を差し出している。あたしはそれを掴んだ。案の定途中で滑ったが、倒れる前に支えてくれる人がいる。
空を見上げる。
空は灰色。いつもの灰色。そこから水の粒が落ちてきている。
ここはそれでいい。
気まぐれは一度だけで十分。
今度は、あたしが見に行こう。いろいろな空を。自分の足で。
あの写真の空だって、自分で見に行けばいいのだ。
そう思うと、わくわくした。ここからだ。今が、始まり。初めの一歩。
そうすると、この空だって、そう悪くはないか、なんて。そんなことも思えた。
ここは地獄ではない。
続いている、もっとずっと向こうまで。別の色を見せる、あの空まで。
それがわかっただけでも、見上げ続けた意味があるのだ。
++ 近江利央(オウミ・リオ) ++
青い空を見るのが夢。面倒臭がり屋だが、苦労性。
++ 久遠イオリ(クオン・イオリ) ++
利央の幼馴染兼親友。小一からずっと同じクラスという仲(利央曰く、腐れ縁)。面白いことが好き。
++ 加嶋夏夜(カシマ・カヨ) ++
写真部顧問。男勝りな性格。部室である資料室を占拠している本やら何やらは、大半がこの人の私物。
++ 加嶋冬夜(カシマ・トウヤ) ++
夏夜の弟で、転校生。空色の瞳を持つ。