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「イオリ、行ってらっしゃい」
「いってきます」
にっこり、とまで笑えなかったけれど、なんとか笑顔を取り繕って、『私』は笑った。
ちゃんと笑ってなきゃ、と思った。せめて、母さんの前でだけは。絶対に。
じゃなきゃ、悲しむから。
きっと、悲しい顔を、するから。
子供心に、それは嫌だと思って。
父さんはもういない。
だから。
自分が確りしなきゃ、って。
そんなことを、考えていた。
これから仕事で忙しいのに、大変なのに、それなのに笑顔で手を振って『私』を送り出してくれる母さんに、『私』は振り返って手を振った。それから小走りで、幼稚園に入る。ふう、と息を吐いた。顔から感情が消える。後はもう、いつも通り、だった。
鞄を降ろすと、部屋の隅に座った。何をするでもなく、ただぼーっと。
今思うに、先生からすれば『私』はかなり扱い難い子供だっただろう。別に言う事を聞かない、というわけではない。むしろ逆。言う事をちゃんと聞く、良い子。子供らしくない、子供。…冷めた、子。
それを全て理解していた『私』は、やっぱり扱い難い子だったのだろうな。
その認識を持っていてくれても、別に全然構わなかったから、直そうとなんてしなかったけど。
でも、あまり賢くはなかった。当時はそんなことを思っていなかったが、今はそう思う。決して賢くはなかった。
だってそうでしょ?
本当に賢い子なら、演技するんだ。歳相応の『子供』の、演技。もしくは、聞き分けが良い無邪気な『子供』…とか。それを演じていれば良い。
でも『私』はしなかった。面倒だって思って。そんなことする必要性が感じられなくて。
他の人との関わりなんて、持つつもりもなかった。
理由はない。ただ、なんとなく。強いて言うなら、“なんとなく”、それが理由。
近寄らないでよ、っていう感情は、きっと他の子にも伝わっていたに違いない。
でも、
「ねえ、なにしてるの?」
それらの全てを無視して、彼女は『私』に笑顔を向けた。
長く長く伸びた黒い髪は、耳のところでふわふわとした可愛らしいピンク色のゴムで、二つに結んである。少しだけつり上がった同色の瞳は、けれどキツい印象は持たせず、逆にどこか優しい光を帯びていた。
知っている。いつも外ではしゃぎ回っている子だ。
『私』とは、何の関わり合いもない…関わりを作るつもりだってない、子。
「ねえ、なにしてるのー?」
もう一度、同じ問い掛け。
…もちろん、『私』はそれには答えず、彼女が諦めて離れていくのを待った。
「ねえー」
答えを催促するように、彼女はむうっと口をへの字に曲げてみせる。…だったら、離れていけばいいのに。他の子と遊べば良いのに。そうしたら、良い。その方が、ずっと良い。
キッと睨むと、けれどその子はきょとん、として、あろうことかそれに笑顔を返した。
(………この子、きっとすっごくばかなんだ)
『私』はそんなことを考えた。
だってそうでしょ?
なんで睨んだのに、笑いかけてくるの? 普通はそんなこと、しない。
嬉しそうに、隣に座ったりなんか、しない。
「…なんですわるの?」
「あ、あそこのシミ、うさぎさんのかたちしてるー」
…………全然、聞いてくれてない。
ムッとして、先程より強く、
「なんで、すわるの?」
「…すわっちゃダメ?」
「ダメッ!」
「どうして?」
怒鳴ったのに、退いてくれない。少しだけ驚いただけで、泣きそうにもならないし、怒っているようにも見えない。
「どうしてもダメなの!」
叫ぶと、先生が慌てて寄ってきて、
「ほら、利央ちゃん、イオリちゃん困ってるから、あっちで遊びましょう?」
「…どうして?」
『私』に言った言葉と、同じソレを投げかける。
聞き分けの良い子悪い子で分けるなら、利央は良い子に分類された。言えば、すんなりと言うことを聞くし、先生を困らせることも怒らせることもほとんどしない子だった。だからこそ、先生も驚いたのだろう。面食らって、どうしてって…、と言葉を濁した。そのまま彼女は畳み掛けるように(本人にはその気は一切無かったのだろうが)、
「どうしてあっちであそばなくちゃいけないの? どうしてこっちにいたらいけないの?」
あたしがこまってるからだよ、と『私』は隣から口を挟んだのだけど、彼女には全く聞こえなかったみたいで、
「せんせー、なかであそんでもいいよっていってるのに、どうしていまはこっちじゃダメなの?」
だからそれはあたしがこまってるからだよ、と『私』はもう一度そう言って、そうしたら今度は聞こえたらしく、
「イオリちゃん、こまってる、の?」
「そうだよ」
「りおがここにすわったから?」
「そうだよ」
彼女はこてん、と首を傾げて、うーん、と言って、『私』を見て、先生を見て、天上に在るウサギの形に見えなくもないその染みを、見上げて、
「わかった」
先程の頑固な対応から一転、ビックリするくらい素直に、頷いた。
少しだけ、残念だと思う自分が、そこにいたような、気がした。
++ 近江利央(オウミ・リオ) ++
青い空を見るのが夢。面倒臭がり屋だが、苦労性。
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利央の幼馴染兼親友。小一からずっと同じクラスという仲(利央曰く、腐れ縁)。面白いことが好き。
++ 加嶋夏夜(カシマ・カヨ) ++
写真部顧問。男勝りな性格。部室である資料室を占拠している本やら何やらは、大半がこの人の私物。
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夏夜の弟で、転校生。空色の瞳を持つ。